建築士事務所-計画工房 辿のつぶやきと家づくりサポート

ヤクルトおばさんに捧ぐ

これは20世紀末の晩夏、猫の上平茶呂下丸とその新しい飼い主が体験した地域密着型のヒューマンドラマである。……

シャローンはいつものようにまち子が運転するプジョーのコンソールに蹲り、異変を感じていた。普段家にあるはずの自分の爪研ぎや好物の缶詰がごっそり車に積まれていたせいかもしれない。まち子もまた、かすかな不安を感じていた。eメールと電話でしか接触したことがない相手のマンションの前に車を止める。「シャローン、行くよ。良い人だといいね。」シャローンを抱いたまち子はペット禁止の張り紙を横目にエレベーターに乗り、相手の部屋のインターホンを押した。
「チャロ」それがシャローンに付けられた新しい名前だった。モンプチを連想させる名前に抵抗を感じた新しい飼い主は「ゴロが似てれば馴染みやすいだろう」と気安く変えてしまったのだ。猫をかぶり続けるのはいかに本家でも疲れるもので、人間が好むまん丸い目も、機嫌の悪いときは三角にもなる。上瞼が下がったそのときの目が上が平らで下側が丸かったものだから、上平下丸というフルネームまで付けられてしまった。猫にとっては迷惑な話である。しかも別嬪の牝なのに。

一年はあっという間に過ぎてチャロはすっかり新しい家と可愛がってくれる飼い主に馴染んだ。猫初心者の飼い主夫婦もどうにか里親としての自覚に目覚め、ネコのいる生活にも、ペット禁止のマンションでの気遣いにも慣れた。その油断がこのドラマの引き金となる。

猫は隠れんぼの名手である。2000年9月のこの日、夜11:00過ぎ、第2部の仕事を終えた飼い主夫婦はいつものように4階の狭い部屋の中でチャロを探した。いない。風抜きのため玄関ドアとテラス窓が細く開いている。「まさか…」チャロはベランダに出しても怖がってしがみついてくるほどの箱入り猫なのだ。「考えられない」そう思いつつも外廊下を探す。非常階段を辿って全階を探す。戻ってもう一度部屋の中を徹底的に探す。やはりいない。女房の顔がかって見たことがないほど不安げに曇った。

チャロは既にもらった猫ではなくなっていた。しかし午前0時の大捜査線も2人だけではいかにも迫力がない。夫は乱視で夜目が効かず、女房は老眼の走りで遠目は効くが相手は最も闇に紛れやすいチョコレート色である。部屋の中にいても暗がりでは気が付かないほどだ。加えてペット禁止のマンションである。尋ね歩くわけにも行かない。駐車場の車の下、ゴミ置き場、屋上、植え込み、川沿いの藪、必死の捜索もそれこそ猫の子一匹発見できなかった。

探してダメとなれば推理?しか出来ることはない。外に出たことがない猫が非常階段を使うだろうか?一番考えられることは飼い主の部屋と同様に風抜きにドアを開けていた別の部屋に紛れ込むこと。この可能性を当たるには取り決め破りを公表して回らなければならない。実は密かにペットを飼っている、あるいは飼いたがっている住人は多い。そのまま拉致される可能性も捨てきれない。飼い主は迷った。結果はどうあれ周りの反応を待つしかない。それが1日目の結論だった。

2日目…なんの反応もない。周りの様子を密かに伺うとかすかに猫の声が聞こえる。自分の部屋からも聞こえる。これは空耳だ。判断が付かない。女房は既に子供の行方を案ずる母親の風情になっている。もしマンションの外に出たのなら、猫にとって4階は異次元空間のはず。自力で戻れるはずはない。朝になって喧噪の戻った都市のど真ん中で逃げまどい、自分がどこにいるかも分からなくなっているだろう。無駄と知りつつ周囲を探し、警察と保健所、動物病院に連絡を取る。意を決して同じフロアの第一容疑者の部屋を訪れたが、これは幸い?にも留守でその後思い留まった。

猫の指名手配次は定番の手配書作り。ポスターと連絡先を持ち帰れるカード型とを組み合わせたフルカラー版を控えめに周辺の電柱に貼った。もはや可能性は2つに絞られている。誰かに拾われたか、野良の修行を始めたかである。しかし野良になれる猫ではない。飲まず食わずでどれだけ持つか。勝負は1週間程度と踏んだ。もう出来ることは気休めの捜索しかない。近所で野良猫に餌をやっている中年の婦人にも声を掛けた。

数日後、ポスターに付けたカードが根こそぎむしり取られ、街の美観を損ねているという負い目のある飼い主としては複雑な想いで、補充を断念する。これも運命か?
タイムリミットと踏んだ1週間もあっという間に過ぎて、習慣となった捜索散歩も空しく感じ始めたが、「死んだと分かっているならあきらめも付くのに」という女房の手前、止めるわけにも行かない。

12日目、ついにトイレをはじめ、チャロの痕跡を処分しようと思い定めたとき「あんたんとこ、猫逃げた?」との電話が入る。藁にもすがる思いで「すぐ伺います」と答えたら「今、遠くにいるから今晩7時、目黒川の赤い橋のたもとで待ってて」との謎めいた返事が返ってきた。猫の様子を尋ねると「食べようとしませんが、水は飲みました。元気です」とのこと。特徴は一致していたがこんなに生き延びられるものだろうか。「赤い橋」は近隣の者なら知っている夜は人気のない場所である。一抹の不安を感じつつ、飼い主が時間前に指定の場所に行くと、そこには野良猫に餌をやっている2人連れの婦人がいた。薄闇の中ではっきりしないが以前に声を掛けた婦人とは別人である。傍らにヤクルトを積んだ自転車が置いてあった。

「ああ!猫の」どちらからともなく声が流れた。「今連れてくるから待ってて」一人の婦人が駆け出していく。残った婦人はヤクルト自転車の前かごに積んだ餌を猫に与え続けていたが、飼い主夫婦が一歩近づくと猫たちは一瞬に散らばった。チャロには太刀打ちできない敏捷さである。婦人が「名前」を呼ぶと用心深く戻ってくる。「お宅の猫だと良いけどね」婦人の掛けてくれた言葉がその場の総てだった。「彼女の知り合いの家に預けてあるのよ」お互い先行きを考えるあまり、会話もぎごちない。

まもなく猫用バッグを抱えた婦人が戻ってきた。おびえきった墨色の猫は引きずり出されまいと必死の抵抗をしている。一回り小さい。飼い主には疑問がかすめたが、バックに入ったままの猫を明かりの下に運んで点検していた女房は「チャロよ!」と短く叫んだ。艶のあったロングヘアーは見る影もなく、たぶんノミだらけで体もやせ細っている。飼い主にも狂気の目を向けてそれらしい反応はしない。でも女房の判定に間違いの有るはずもなかった。

猫の写真その場は一瞬にして和んだ。手配書のカードを総て持っていったのはこのヤクルトおばさんだったのだ。世を忍ぶ猫好きのネットワークに配る為に…それは見事に機能して、昨日保護したという婦人に繋がった。自分では事情があって飼えないけれど猫を愛する人たち。用意していた心ばかりの謝礼も「お互い様よ」と頑として受け付けず、一緒に喜んでくれる人たち。日頃「コミュニティが」などと言ってるわりには本当の地域社会に疎い初心者飼い主は「もう2度と逃がしちゃダメよ」というヤクルトおばさんの言葉にも素直に反応するだけだった。

その夜、早速病院で処置を済ませ、「ヤクルトを契約すれば良かったんだ!」と気づいても後の祭りだった。落ち着いて考えると「やっぱり元の飼い主の所に戻るのが一番良いものねえ」という保護してくれた婦人の言葉は、2重の意味を持っている。保護されたのは昨日より以前だったかも知れなかった。寂しい思いをさせてしまったのかも知れない。名乗り合うことも出来なかった赤い橋のたもとの密会は喜びと共にほろ苦い思いも残すことになった。

チャロはといえば4日ほどで毛並みを取り戻し、一月もしない内に以前にも勝る体重になって、飼い主の家に君臨していた。それでも彼女なりの心の傷が癒えるのはそれからしばらくの時間を費やすことになる。飼い主は結局ヤクルトを飲んでいない。

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