東日本大震災は阪神淡路や新潟とは比較にならない惨状だった。インパクトとしては二日間歩き回った阪神淡路が印象的だけれど、津波の重さを思い知らされたのが東日本大震災だった。とは言っても傍観者にすぎない自分として、この件はこれ以上語れない。ただこの災害は原発を巻き込んだことで甚大な災害からさらに次元を変えてしまったように思う。その後の電力不足も有って、この災害が生活意識の変換の好機と思われた。

セルフのアンダーラインまで流された!

もともとトイレのないマンションと言われた原子力発電所。使用済燃料の処分もままならないのに、いざ事故を起こしてしまえば満足な事後処理もできない。それなのに「福島原発はアンダーコントロールにある」などと平気で言い張る人のもと、各国が「福島を見て」原発行政の方向転換を図る中で再稼働に余念のないこの国はどこに行くのだろう?

私が写真の現場に行ったのは災害から5ヶ月後の夏。バスをチャーターして被災地を巡ったのち、帰りに印象的だったのは福島県をノンストップで駆け抜ける自分達だった。トイレにだって行きたいのに…行きは夜行だったので気づかなかったが、当時福島で休憩するバスは無かったと聞く。東京でも線量測定器がブームになった。私も国会前に集って「原発いらない」と叫んだ。多くの人がエネルギーを削減しよう、それでも生活はできると気がついた。当時は政治家たちも期限を区切って原発撤廃の道を探る方針だったはずだ。

あれから6年…だ